ゆでガエル
ゆでガエル理論とは、ゆっくり起こる環境変化に対する対応の重要性、難しさを示すたとえ話だ。
熱いお湯に突然入れられればカエルは驚いてすぐに飛び出すのに、徐々に温度が上がる水の中ではカエルは跳びだすことなくゆでガエルと化してしまう。
今の父は、もうどうしようもなく、客観的に見ればかなり厳しい状態だ。
まず、左半身はマヒしており自力で動かすことができない。もちろん歩くことなんかできないし、何をするにも車いす、トイレもひとりで行けない。立ち上がることすら一人でできない。
日中はすぐ眠くなり、よく寝ている。
最近起きたことの記憶はすぐ忘れる。当日の記憶すらままならない。
声が出ない。常にかすれ声。
感情のコントロールができず、母が不機嫌だとすぐ泣く。
長時間人と話すと、痙攣をおこす。
もっとこれ以上にも父が失ったもの、父が代わってしまったことがあるはずだが、それすらもう私は書くことができない。
ゆでガエルだ。
このおかしな状態の父に、慣れてしまった。
変わっていく父を、人生をクロージングしていく父を、受け入れてしまった。
あきらめ、悟りの境地だ。
どんなに変わろうとも父は私の雄一の父で、心から愛している。
それは当たり前のことだ。
でも、変わってしまった父を見て、終わりゆく父を見て、悲しい、怖い、驚く、といった感情がなくなってしまった自分に驚いている。
おととしの10月は、父の死を突然宣告され、ただただ動揺し、眠りも浅く、毎日ふと涙を流していた。
今でも、たまに涙は流すけれどもどうしてか、悲しい、怖いという気持ちが薄れてきているのを感じる。
人のメンタルは上手にできている。
これが適応なのだろう。
私は中学生の時仲間外れにされたことがある。
学校で一人で過ごしていたのだが、ある日私は母にこんなことを言った。
「最近は、慣れてきたよ。」
母は激怒した。
「そんなことに慣れるんじゃない」
私はまさに今、自分に言いたいのだ。
こんなことに慣れちゃいけない。
父は運動ができて賢くて仕事もできて、気遣いをしすぎる、周りを冗談で笑わすよううな、私のスーパーマンなのだ。
こんな状態の父を受け入れ、慣れてはいけない。慣れたくない。
私は、早く気づかなきゃいけない。
時間が短くなっていることを。
父とたくさんやるべきことがあるということを。
父は明らかに、もうすぐ、ゆであがる。