Norari-Kurari

脳腫瘍(膠芽腫)と診断された父と、私の徒然ブログ

他者の心に寄り添えるなんて、幻想だ

おととい、父の病態が悪化した。

39度の熱が出て、呼吸も時たま止まり、意識レベルも低下した。

お医者さんは、「熱が下がったとしても意識レベルが戻ることはないだろう。あと数日か長くて一週間でしょう。覚悟してください。」といった。

 

私は、この日バイトに行っていて

たまたまこの日はバイトが夜遅くて

たまたまこの日は翌日のテストのために家庭教師が長引いていて

たまたま、たまたま。

 

帰りの電車でLINEにへばりつき、

「早く帰ってきた方がいい」のライン文字に涙をにじませていた。

最寄り駅についたとたん走って走って、

やっと家に着いたとき、父は静かに眠っていた。

 

呼吸がところどころ止まる。

「パパ、呼吸してよ」赤ちゃんみたいな、情けない涙交じりの声でつぶやいた。

本当に死んでしまうんだ。

そう思い、取り寄せていた葬儀社のパンフレットを眺める。

 

まだ父は、生きている。でももうすぐ死ぬ。

そんな中で葬儀のパンフレットを眺め、訃報の連絡先を整理する。

「こんな日が本当に来るなんてねえ。」母が鼻を赤くしてつぶやく。

時折、父のせき込む声と痰を出そうとしているのか、うなる声が聞こえる。

 

ひと時も父の傍を離れることは出来ないため、

父の部屋にマットを持ち込み、数時間眠った。

 

翌日、父の具合は少し良くなった。

意識レベルが回復し、少し会話ができるようになった。

もう死ぬ、と思っていた私たちにとって奇跡だった。

しかし、いつ悪化するともわからない。

私は授業を休んだ。

 

嬉しい。パパと一緒に生きれる時間が思ったより伸びた。

とてもうれしい。嬉しいに決まってる。

でも。ふと思ってしまった。

…これはいつまで続くんだろう。

 

もうすぐ死ぬかもしれない、死なないかもしれない。

終わりの見えない、暗闇だ。

でも終わってほしくない、暗闇だ。

いつ終わるんだろうなんて考えてしまう自分にも嫌気がさす。

 

久しぶりだった。

私のメンタルが、悲鳴を上げていた。

誰かに、誰かに助けてほしかった。

 

私は、友人二人にラインをした。

父の病気の話を知っていて、私を受け入れてくれた友人だ。

父が死にそうだなんて言えない、けれどこの二人なら、

詳しいことは聞かずに頑張ったねって言ってくれると思っていた。

 

そんな甘い現実はなかった。

「人に褒められても意味なくない?」

「頑張りすぎ、体休めて」

 

彼らは、私を救えなかった。

当たり前だ。

私が父の死に目に遭遇してるとは二人は分からないのだから。

でも、とても信頼していた二人だった。

自分勝手なのはわかっている、でも、少しショックだった。

 

そんな中、同じ病気で父親を数か月前に亡くした友達から、連絡がきた。

「大丈夫?困ったことない?」

天使だと思った。

いや、天使だった。

 

どんなに仲が良くても、信頼していても、

同じ経験をしていないものが本当の意味で「寄り添う」ことは難しいのだと知った。

同時にこれは、わたしも、他者の心に寄り添えないんだというある種絶望を突き付けられたことになる。

 

他者の心には寄り添えない。

でも、やっぱり寄り添う努力をしていきたいと私は思うのだった。