Norari-Kurari

脳腫瘍(膠芽腫)と診断された父と、私の徒然ブログ

死にゆく父の「今、ここ」

今ここに集中する、マインドフルネスが流行っているのをご存じだろうか。

要は頭を一時的に空っぽにして「今ここ」に集中することで、結果的に集中力を高めたり脳を休めたり、精神衛生を保とうという話だ(雑)

詳しくはマインドフルネスの書籍がたくさん出てるので読んでほしい。

 

父の容体が土曜から急悪化した。

一か月前から脳幹に腫瘍が転移し、あと三か月程度とは言われていたものの、ここ数日の悪化はすさまじかった。

どれくらい悪化したのかと言えば、目があんまり開かなくなった、言葉をあまり返さなくなった、声がおかしくなった、記憶がぐちゃぐちゃになり始めたなど上げたらきりがない。

自分の年齢もわからないし、言葉がたまに出てこないし、祖父と祖母が亡くなったことも忘れているし、自分がどこにいるのかもたまによく分かってない発言をする。

 

日々退化する父を眺めて、もう私たち家族は毎日毎日に感謝することしかできなくなった。

もう「元気だったころの父に戻ってほしい」という期待は持たない。いや、持てない。

何故なら、それを願っても無理なフェーズに入ったことを実感として素人でも認めざるを得ないからだ。

 

ふと、いろんな後悔が頭をよぎる。

ああ、あの時ほかの用事なんてキャンセルして一緒に映画に行けばよかった。

ああ、あの時の彼氏と上手くやっていればパパに結婚の報告ができたかもしれなかった。

タラレバの世界だ。涙が止まらない。

 

私は、しかし意図的に、「こうすればよかった」と考えるのをやめた。

何故なら、そんなことを考え始めたらきりがないし自分が破滅しそうだからだ。

なんとも当たり前で、本屋に我が物顔で並んでいる自己啓発書にでもかいてあるようなチープなアクションだ。ここにブログとして書くまでもない話で私も驚く。

でも、日々弱る家族を目の前に、後悔にかられない人間などいないのだと思う。

メンタルの防衛本能なのかよく分からないが、

とにかく「これを続けたら精神崩壊する」と感じ、強制的にわたしの後悔スイッチはオフになった。

 

幸い私はいろいろあって今まだ学生で、時間がたくさんある。

ここ数日毎日父の病室へ行き、会話をし、父に触れている。

とても幸せだし、温かく、父への愛情で心が満たされている。

父をこんなに愛したのは、皮肉にも初めてかもしれない。

 

今まで、父にしてあげたらよかったことは沢山ある。

これから、もう父と出来ないことは沢山ある。

でも、どれもこれもどうしようもないことだ。

何もできなくなって初めて、受け入れるしかなくなって初めて、

私たちは本当に父に向き合えた。

 

思えば、「元気なころの父」は父の一側面でしかなく、「病気である今の父」も父なのだ。

人は変化するし、自分の期待する像と外れている相手を相手と受け入れないことはなんて傲慢なのだろうか。

 

一個前の自分の記事と相反するようだが、

父をありのままに受け入れ、今を生きること。

これが、私たちに残された、あと少しの、一番ベストな生き方だ。