Norari-Kurari

脳腫瘍(膠芽腫)と診断された父と、私の徒然ブログ

父が消え、一年がたった

父が死んだのは、一年前の蒸し暑い夏だった。

明日は一周忌で、ずっと家に置いてあった骨壺をついに納骨するのだ。

 

膠芽腫という病気はどのように進行し、どのように人を死に至らせるのか。

それに家族がどう向き合ったのか。

昔の私と同じように知りたい人がいるのではないか、そして何より書くことで私が私の感情を整理したい。

そう思って書いたブログであったが、世の中の大半のブログと同じようにきちんと書き残せず一年がたってしまった。

 

久しぶりにブログを開けてみると、思ったよりもこのブログを見に来てくれている人がいることに驚いた。

見に来てくれた人の何か役立てているのかは全く分からないが、

自己満足の範疇でまたブログを書いてみようかな、と思いこの記事を書いている。

 

 

一年が経ち、私たち遺族には一定の平穏がもたらされている。

父がいないことは「普通」になった。

日々悪化する父を見守る苦しみはもうない。

 

私はリビングに飾ってある骨壺と遺影と共に毎日食事をし、

たまに手を合わせ、食べ物を供える。

私は毎月給与明細をそっと備えるし

母は私よりも高頻度でお香を挙げている。

たまには父の知人が手を合わせに来たり

妹は心の中で手を合わせているのかもしれない。

 

私の家では父が単身赴任や出張で居ないことも多かったので、

父が家に居ないということにはあまり違和感がないというのが正直なところだ。

 

驚くべきは人の忘れる力だ。

一年前まで約二年ほどの、苦しい闘病生活の記憶は明らかに消え始めている。

というより、私の脳は自発的に消し始めている。

闘病生活を思い出すことは、ほとんどない。

あの苦しかった日々も今や遠い昔だ。

 

私は、父との闘病生活について、そして父について考えなくなった。

というのも、考えたら、思い出したら、すぐにでも泣いてしまうからだ。

このブログを書きながら、今も涙が頬を伝っている。

 

毎日、こんな感情に真正面から向き合い

涙で枕を濡らしては普通の社会生活は送れない。

 

先ほど一定の平穏、と言ったのは決して心の底からの平穏はもたらされていないからだ。

それでも表面上は今までと何ら変わらないように過ごすことが出来るようになっただけで十分だ。

考えるだけで涙が出るなんて、長く付き合った彼氏に振られた直後以外に経験がない。

自分でもどうして泣いてしまうのかわからないし、どうしたらこれが癒せるのかはよく分からない。

 

一年経って他に気づいたことは、

他人の死は多くの人にとってはイベントになりうるということだ。

死を悼んでくれた、その事実だけで充分感謝に値する。それ以上何も求めてはいない。

でも、父の死は私たちの中で一過性のイベントという訳にはいかないのだ。

今もそしてこれからもずっと続いていく、不可逆な事実だ。

 

簡単に言えば3.11と同じだ。

自分の本当に近くで起きたことでないから憐みの対象になり、

イベントとして消費してしまうというのは人間の性なのかもしれない。

もちろん一年たっても気にかけてくれる人も沢山いるので、他者の善意を信じられないと言っているわけではない。

でも、ピュアな白でもないということだ。

 

私は、いつになったら涙を流さず父について考え、父について話すことが出来るようになるのだろうか。

その長い長い戦いはまだ始まったばかりだ。