私の父(50)は、緩やかに死んでいる。~ 仕事に喰われた記念日 ~
私の父は、緩やかに死んでいる。
脳腫瘍のグレード4、今の医療では完治はほぼ見込めない「膠芽腫」という病気だ。
余命として宣告された1年半を過ぎた今も、私の目の前で少しずつ弱り、穏やかに死へと歩みを進めている。
父は、世の中一般的には激務と言われる部類のの某企業に勤めている。正確には今は休職しているので、勤めていた。
海外駐在を3回し、聞くところだと出世街道をそこそこ歩んでいたらしい。
仕事を愛し、仕事にそこそこ愛された男。
私はそんな父が大好きだった。
2016年10月15日。
1年半前のこの日は、父が最愛の仕事に喰われた日だ。
グググググググ…
AM1:40、部屋で夜な夜な書類を作っていると、リビングから変な興奮したような声が聞こえた。
夜中にスポーツ観戦でもして興奮してるのだろうか。うるさい。
ググググググ…
どれだけいい試合なんだ。興奮しすぎだよ。
夜中なんだし静かにしてほしい。
ため息をついて私はPCを閉じ、リビングへ向かった。
今でも、忘れることはできない。
ソファの上には壊れかけのおもちゃのような父がいた。
正確には父は、痙攣を起こしていた。
両手をぎゅっと握りしめ、体を反らし、目は宙をむいている。
食いしばる歯の隙間からは絶え間なくうめき声が漏れていた。
ここからは、よくあるドラマのワンシーンそのものだ。
しかし、残念なことにこれはドラマじゃなかった。エンドロールは流れないし、BGMも流れない。まぎれもない,現実だ。
パパ、パパ!
私は悲鳴のような声を上げ、体をゆすった。何も起こらなかった。
ママ、起きて、ママ!!!ママ!!!
その場で叫んだ。
パパが、死ぬ。本気でそう思った。
どうしたの、あなた!!!
起きてきたママは取り乱していた。
当たり前だ。夜中に突然起こされたと思ったら、夫が痙攣を起こしているなんて夢にも思わなかったはずだ。
ママは取り乱しながらも妹を起こし、救急車を呼んだ。
この時の手際の良さは、さすが母であった。
パパは、相変わらず痙攣したままだった。
起きて、パパ、大丈夫、大丈夫、もう少しで救急車来るよ、起きて、パパ、パパ
大声で叫びながら、私は気づいたら父に抱きついていた。
父に抱き着くなんていつぶりだろうか。
胸に顔を当て、叫びながら、必死で父に、いや自分に言い聞かせていた。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫
声を発することで何とか自分を保っているのは母も同じだった。
あなたどうしたの、あなた起きて、最近忙しかったもんねかわいそうに、起きて、起きて。
ここ最近父は海外出張と残業を繰り返していたのだ。
母と父は、娘の私から見て特段仲が良かったわけではなかったが、母は父を必要としてるんだ、とこの時初めて私は知った。
痙攣がしばらく続き、酸素が足りなくなったのだろうか。
父の唇が青紫になり、泡を吹き始めた。
目は上に向き、白目になっている。
声をかけると目が戻り、また上に上がっていく。おもちゃそのものだ。
ねちゃだめ、ぜったいねちゃだめ、あなた、お願い
母の声が、部屋に、ドアの向こうに響いていた。
ドタドタ、と足音がした。
救急隊員だった。4人くらいいたと思う。
「大丈夫ですかー?」と父に語り掛ける。
父の組んだ足を元に戻すと、ふっと父の意識が戻った。
父は、何もわかっていないようだった。
つい先ほど眠りから覚めたかのように立ち上がり、歩こうとする。
救急隊員の人がそれを支え、けん制した。
あなたやめて、あぶない、母の興奮した声が依然として響いていた。
父は担架に乗せられ、救急車に乗せられた。
寝ぼけているように、ぼーっとしたままだ。
「お名前はなんですか、生まれはいつですか」
救急隊員の人の質問に、父はぼんやりと答えた。
「昭和に直すと何年生まれですか?」
父の沈黙が、これまでの一連の流れは夢ではなかったのだと私たち家族に思い知らせた。
その後近くの病院に搬送された父は、検査を受けることとなった。
人並みの感想だが、まさかこんな日が自分の家族に来るとは思ってなかった。
10月15日。
この日は父の、仕事に喰われた記念日。